2015年01月20日

ダブルケア〜育児と介護の同時進行〜


フォーラム南太田で開催された「ダブルケア(育児と介護の同時進行)シンポジウム」に参加してきました(たまたま幸運にも休日でした^^)。

ダブルケア(double care)とは、親の介護と子供の保育の両方を同時に行うことを言い、実際にそれを行っている人をダブルケアラー(double carer)と呼ぶそうです。今回、研究発表を行った大学教授達の造語だそうです。
私がプライベートでもその世代であることや、仕事柄介護と保育の両方を学んで専門職としようとしているので、興味があり参加しました。

発表後、参加者が10グループに分かれてワークショップ形式の討議を行いました。

私のテーブルは、発表者の山下順子先生(ブリストル大学講師)をファシリテータに、実際にダブルケアをしている母親、介護職員、保育職員、財団職員、市議会議員など多彩な顔ぶれによるディスカッションになりました。
個人的には、介護と保育をあまりに縦割りに考えすぎる風潮に疑問を持っていたので、様々な当事者や有識者のお話をお伺いし、良いヒントを頂きました。

人をケアするという点では共通なのだから、介護職の人は保育へ、保育職の人は介護・障害福祉へもっと目を向けても良いと思いました。
posted by 菅原直敏 at 20:00 | 福祉を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月19日

「くれくれ福祉」からの脱却

広い意味で社会保障をも含む福祉は、弱者支援という側面から、比較的「公助」に頼る事が多い分野です。しかし、今の議会や行政で扱われている福祉はあまりにも公助により過ぎではないかという問題意識をもう一方で抱いてきました。

なにかにつけ「あれしろ。」「人出せ。」「ものだせ。」というカネ・ヒト・モノを要求する要望・陳情(これを私は便宜的に「くれくれ福祉」と呼ぶ)が議会では主に展開されています。そして、できなければ「行政の怠慢」「首長のやる気がない」などと行政批判に終止する。共産党さんあたりがこの手のことの専売特許と思いきや、福祉の分野になると、普段理性的だと思われていた議員さんも意外とこの類いになったりします。

もちろん、福祉の性質上「公助」が大きな役割を果たさざるを得ないのは仕方のない事です。しかし、これが行き過ぎて何事が起きても即ち「公助にまず飛びつこうとする」ような公助至上主義又は公助第一主義のあり方は大きな問題があると思うのです。なぜなら、公助による解決とは即ち税金を投入する事とほぼ同義であり、なんでもかんでも公助によることは増税や次世代への負担の先送りを助長する事になるからです(それでもよいのだという立場の人がいるならば別ですが)。

「福祉の充実」を訴える議員は星の数程いる割に、「税負担の適正化」を訴える議員は非常に少ない。即ち、現在多くの議会で展開されている公助拡充への議論は破綻しています。結果、ごまかしごまかし微増税し、あとは次世代へと負担を転嫁し続けています。

私は行財政改革を初当選以来の訴えの柱に掲げてきましたが、この「くれくれ福祉」からの脱却は、行財政改革を語る上で避けて通れない難題であるとある時に気付きました。なぜなら、国や地方の予算で最も大きな割合を占めるのが扶助費や民生費であり、少子高齢化という日本の人口構造はもはや経済成長すらも飲み込んでしまう大きな魔物になってしまったからです。事業仕分けのごとき、福祉分野以外における節約運動では焼け石に水です(もちろんやらないよりはましですが)。

介護・福祉を政策すべきだという私の訴えは、実はこのような自分が辿ってきた議会人としての経験が背景にあります。

「くれくれ福祉」からの脱却とは、公助でしか支えられない人は除いて、基本的にはまず「自助」、次に「共助」の順で支える仕組みを構築しようとする取り組みに他なりません。
例えば、高齢者虐待の件数は年々右肩上がりです。虐待数を抑制する為に最も効果的な方法の一つは、虐待をする人(大部分は家族)が悩みを抱えずに気軽に相談できる環境を整備する事です。しかし、公助第一主義だとこのような案件に対してまず相談窓口の拡充や相談員の増員が検討されます。即ち税負担ができるかどうかの問題になります。

しかし、現場で家族のお話を伺ってみるとわかるのですが、大半の家族の抱える悩みというのは専門家が聞かなければならないようなものではなく、むしろ同じ境遇にいる者同士が茶飲み話で発散できてしまうようなものも少なくありません。

とするならば、地域毎に認知症カフェのような「場」を地域の人達の共助の仕組みで作っていく事を促していけば税金をほとんど投入する事なく(せいぜい公の場を無料または安価に提供する程度)、家族の悩みも解消し、虐待件数を抑制していくという効果が期待できるのです。
以上、色々と述べましたが、公助に飛びつく前に、公助によらないで済む知恵を絞りましょうということでした。
posted by 菅原直敏 at 09:40 | 福祉を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月08日

介護施設のワンオペ〜夜勤帯の職員がいなくなったならば、、、

牛丼チェーン「すき家」で話題になったワンオペ(ワンオペレーション=夜勤帯の一人勤務)。あまりに過酷な勤務状況にアルバイト辞職が多発し、開店休業になる店舗が増え、ついにすき家も方針転換をした事は記憶に新しいところです。

実は介護の現場でもワンオペを行っているところは少なくありません。介護現場におけるワンオペ(各フロアに1人配置も含む)は、実質的に法定の休憩もとれず、違法性も高いのですが、残念ながらなくなりません。日勤帯においては国によって職員の配置基準まで細かく決められているのですが、何故か夜勤帯には基準がなく、無法状態となっている事を知っている人は意外と少ないです。

ところで、「人類が消えた世界」というベストセラー小説がありました。「もしある日人類が忽然と消えたら、その後の地球には一体何が起きるのだろう。」という非常に興味深い思考実験が題材の小説です。

ふと思ったのが、「もし介護現場でワンオペの夜勤帯に職員が忽然と消えたら、その後の現場には一体何が起きるのだろう。」と。こう思ったのは、幸い日勤帯だったが、職場の同僚が急病で倒れ救急搬送されたからです。これが夜勤帯であったならば、、、

まず、排泄介助が必要な人は糞尿をパットで吸収しきれず、朝方には各居室から汚臭が充満しているでしょう。

転倒リスクがありかつ徘徊癖のある人はベッドから離れ転倒し、怪我を負いながら倒れているでしょう。

在宅酸素をしている人のカニューラが寝返りで外れても直す人はなく、呼吸困難でなくなる人も出てくるかもしれません。

利用者の状態にもよりますが、朝方その現場を発見した早番勤務の人は、この世のものとは思えないカオスな状態を見る事になるでしょう。

夜行バスの運転手だって、警官だって、医療現場だって、、、

ワンオペはしませんよね。
posted by 菅原直敏 at 11:00 | 福祉を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

終末支援〜長寿至上主義からの脱却

「お兄ちゃん、死にたいよ。死にたいよ。もう私なんか生きていても無駄なんだ。」

夜勤帯、堰を切ったように爆発する感情。寂しさからか、本当にそう思っているのかはその時々でしょうが、自分のおかれた状況にもどかしさや不自由さを感じて涙する利用者に、介護職であれば何度も遭遇します。

そんな時は、同じ目線に立ち、そっと手を握って、ひたすらその感情から出る言葉を傾聴します。

「ありがとう。」

たいていはそう言って眠りにつきます。

ところで、日本では長寿は絶対正義とするきらいがあります。極度に発達した保健・医療は個々人の幸福感よりも、ひたすら国民の延命に執心しています。介護保険制度も「自立支援」を基本理念とし、時としてこの延命への補完的な役割を担っています。

しかし、どんなに保健・医療が発達しようとも、人間の機能はある時期から永遠に反転することのない下降線に漏れなく突入します。そして高齢になればなるほど、この下降線は鋭く落ちていきます。

このような人間の高齢化における特性と医療や介護保険が多大な次世代への借金でまかなわれていることを考えたとき、高齢者を一括りにして永遠に自立支援の理念のみで対応すべきなのかという疑問を持っています。機能回復の見込みが低い人に過剰なリハビリを施術し、薬を大量に処方する。個々人の私財でなされるならばまだしも、有限な税金を用いる対象としては優先順位が倒錯しているように思われてなりません。

数値上の平均寿命を1歳上げる為に大量の税金を投じるのではなく、現役世代がもっと希望を持って現実を生き生きと暮らせる為に用いられても良いのではないかと感じます。現在の税金の使われ方が明らかにバランスを失しすぎているからです。

その為には、高齢者を一括りにするのではなく、肉体的な下降線が急落してきた人に対して、何が何でも1日でも長く「生きさせる」ような自立支援ではなく、速やかにかつ安らかに永眠できる終末支援も選択できるようにすべきではないかと考えています。

そのために、人間の生命的な寿命を基準にした価値観のみではなく、人間の内面的な幸福を基準にした価値観をも考慮できるような法制度を国民的な議論をしながら構築していくと良いのではないかと考えています。
posted by 菅原直敏 at 10:00 | 福祉を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月22日

所得の逆転〜このままでは日本が財政的に破綻すると私が思う理由

「私のいたグループホームの大半の利用者は生保(生活保護)で、職員の収入の方が低かったりするんですよね。」

これは、本日私が進める介護プロジェクトの会合で集まった専門職から出た発言です。

生存権

日本では憲法25条で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定しています。

生活保護を受けている人は、文字通り「国民の最低限度の生活」をする人達のはずです。

しかし、実際にはフルタイムで正社員として働きながら、その生活保護者以下の生活をしている人が日本には何百万人といます。

私のいる介護の現場もその一つです。

今日の会合で介護の専門職の方々から聞かれた介護職の待遇を聞いて、驚きました。国家資格である介護福祉士を取得しても、手取りが13〜15万円程度の職場が、私が想像していた以上に多かったことです。

この額は、大和市の生活保護者が満額で受け取る額とほとんど変わりません。しかし、生活保護者はこれ以外にも無制限の医療費や様々な実質的な助成を市から受け取ります。

結果的に、フルタイムで頑張っている介護職の給与が実質的に生活保護者を下回ることになります。

つまり、論理的に言えば介護の現場で低い給与で頑張っている人達は「国民の最低限度の生活」にも達していないことになります。

「所得の逆転」という現象です。

だから、生活保護の支給額を下げろと短絡的に言いたいわけではありません。ただ、この所得の逆転を放置すれば、日本は財政的に破綻するのは明らかです。自立した低所得者層を中心に生活保護に向かうインセンティヴが働くからです。

私はことあるごとに、この所得の逆転の解消を訴えてきましたが、自分自身が当事者になったり、身近な現場にいることで、この問題の深刻さを痛感しています。

日本の生活保護制度は、大きな穴みたいな制度で一度落ちると余程タフな人しか這い上がろうとしません。本来であれば、少しでも頑張ればよりよい生活になる上り坂型の制度設計にするべきなのです。

これほど深刻な所得の逆転の問題が政治の世界であまり真剣に取り上げられていないのがちょっと不思議です。
posted by 菅原直敏 at 10:45 | 福祉を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月12日

介護・福祉を考える〜認知症行方不明者

5月12日、7年ぶりの妻との再会−奇しくも41回目の結婚記念日だった。

5月11日に放映されたNHKスペシャル「行方不明者1万人〜知られざる徘徊の実態」がきっかけで視聴者から情報が寄せられ、7年間身元が分からなかったその認知症の女性(67歳)の身元がわかりました。多くの視聴者はこの報道に安堵の思いを寄せる一方で、保護時に身なりもしっかりし、名前や身元を類推させる装備品を身につけていたにも関わらず、7年もの長きに渡り身元が判明したことにより驚いたのではないでしょうか?

ことの顛末は単純で、警察の照会システムに衣服に記載された「ミエコ」という名前を「エミコ」と誤って登録したことに始まり、施設側でも本人が名乗った「久美子」という名前を受け「柳田久美子」と住民票登録したことが発見を遅らせました。

その後も、18年ぶりの再会など、衝撃的なニュースが日々報道されています。

●年間1万人強が行方不明に

警察庁の調査によると、平成25年に認知症が原因で行方不明になった人の数は1万300人にのぼることが判明しました。その内、1万180人の所在は確認できたものの、388名は既に死亡していました。平成24年との比較でも7%の伸びを示しており、今後も高齢者の増加に伴いこの認知症不明者の数は増加し続けると予測できます。近年、大和市でも高齢者の不明による市内放送がよく聞かれますが、このような世の中の流れとは無縁ではありません。

認知症不明者の問題は、徘徊高齢者を抱えるご家族における大きな負担だけでなく、探索や柳田さんのケースのように保護にかかる公的な費用や労力を考えると大きな社会負担にもなり得ます。従って、皆が安心できかつ経費のかからない仕組みづくりが必要であると私は考えています。

●安心かつ安価な仕組みづくり

認知症不明者に対する対策は、予防と探索に分けられます。

まず、予防に関して、徘徊高齢者を抱えるご家族の負担は相当なものであり、地域での見守りにも限界があります。そこで、GPS機能のついたリストバンド等を徘徊者に常に身に付けてもらうことで、行方不明時における迅速な発見が可能となります。

次に、実際に行方不明になってしまった際、保護されても身元が判明しない場合が問題となります。これに対しては警察を始め各行政機関のデータベースを共通化した上で、顔写真等の詳細な情報も登録し、顔認証やDNA認証等の最新の技術も用いて、探索期間の短期化をはかることができます。

報道をきっかけに、行政当局も重い腰をあげ始めたようですが、迅速な対応を求めます。
posted by 菅原直敏 at 10:13 | 福祉を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月12日

介護・福祉を考えるその3〜お手盛り介護

「親身に一生懸命やってくれていたケアマネさんが理事長に首にされたのよ。」

母親が家に来て、茶飲み話をしているとき、祖父のいる有料ホームのケアマネの話になりました。

母曰く、そのケアマネさんは非常に熱心な方で、利用者のことを第一に考えてケアプランを作成し、家族への対応も親身で、少しでも家族の経済的負担を減らそうと努力されていたそうです。

そのことが理事長に疎まれ、辞めさせられる形になったとのこと。

どういうことか?

ケアマネや私のような介護職員が利用者のことを第一に考え仕事をすることは当然のことであり、理想的なのですが、そのことが時として施設経営者等の利益に反することがあります。

特に民間の有料ホーム等は少しでも利益を上げることで施設の運営を円滑に進めなければなりません、そしてそれが行き過ぎると本来利用者が必要のない過剰なオプションを加えることで利益確保をはかろうとします。

例えば、要介護4の利用者は、介護保険の対象となる限度額は33万円であり、その際利用者は一割の3万3千円を負担します。施設はこれを悪用し、本来であれば数千円のプランで済むものを必要以上、最もひどい場合は限度額迄使うようなプランをケアマネに立てさせます。

さすがに限度額請求になると余程無知な利用者の家族ではない限り、高いという声があがるかもしれませんが、数千円のお手盛りであれば「そんなものか」と納得する家族も少なくありません。しかし、利用者やその家族にとって数千円の負担であってもその9倍つまり何万〜何十万円ものお金が介護保険から支払われることになります。

もちろん、これは違法行為であり、このような行為が表沙汰になればケアマネはその資格を剥奪されます。

話を戻すと、私の祖父のケアマネは祖父や家族のことを第一に考え、祖父にとって最も適切で費用のかからないプランを提案したことが、理事長の意に沿わず首にされたのです。

実はこのような「お手盛り介護」が日本全国で問題になっています。

不要な過剰介護を強いられる利用者やその家族にとっても、無駄な税金を払わされている国民にとっても不利益な大問題であり、このようなことを放置すれば将来的には消費税の増税分等ゆうに食いつぶしてしまうでしょう。

我が家は私も母も介護職ですので、祖父のケアプランのおかしさにもすぐ気付くので、家族の立場でこのお手盛り介護を防ぐことは出来ます。

もし皆さんに介護を受けられているご家族がいるのであれば、ちゃんとした介護への知識をつけることが最前の防御法です。

政治に関わる方々は制度面や運用面でこの「お手盛り介護」の改善を行政を通じてはかっていくべきでしょう。

いずれにせよ、真面目で理想に向けて一生懸命な介護職が馬鹿を見ることはなんとも残念な限りです。
posted by 菅原直敏 at 15:26 | 福祉を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月06日

小世界のパンデミック

昨晩、夜勤で出勤すると、私の担当するフロアーの入居者の大半がインフルエンザの陽性かその予備群に。また、嘔吐した人も現れ、ノロ対策のマニュアルに従った対応も。職員の中にも体調を崩して欠勤する人もちらほら出てきました。

感染が怪しい入居者は居室に隔離。当然、職員の仕事量は倍々に増えます。

免疫力が弱い人達が集団で生活する場における病気の伝染の怖さを改めて思い知らされました。

夜勤中に熱が急激にあがる人もいるため、常にバイタルサインをチェックし、看護師の指示を受けた臨時の投薬作業も行いました。

まさに、自分のフロアの利用者さんの命を預かっている瞬間です。もちろん、手に負えなくなったら看護師や医師にオンコールですが。

しかし、入居者さんを守ることも大切ですが、自分を守ることも大切な仕事。自分も病魔にかかって欠勤するようになれば職場にも迷惑がかかります。

この仕事についてからは、手洗い、うがい、消毒、マスクの着用、衣服の頻繁な交換など、教科書的に習ったことを徹底して実践してきましたが、昨日はさらに徹底。

マスクを三枚重ねて着用したり、手洗い、うがい、アルコール消毒等は危険性のある入居者さんに接するごとに行う等。帰宅後も衣服は全て洗浄し、体も隅々まで洗い流します。

それでも、インフルエンザ陽性でダウンしている入居者さんと密閉された居室で行わなければならない食事介助等はなかなかスリリングです。

今、インフルエンザにかかっていないのが不思議なくらいですが、介護職員としてはかなり高い経験を積ませてもらえました。
posted by 菅原直敏 at 08:32 | 福祉を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月27日

死んだことはなかったことに〜死は日常

2連休が明けて出勤し、自分のフロアに向かうエレベータの中で読んだ日誌の中で、私のフロアで「最も元気で自立していた」入居者さんが永眠されたことを知りました。

私の名前を最初に覚えてくれて、文化祭の作品作り等、起用にオーダーに応える私を気に入って色々頼んでくれていた人でした。

確かに数日前に調子を崩され、週明けにご家族と入院するかどうかを話すことにはなっていましたが、あまりにあっけない最後にただただ愕然。

私の施設では入居者が亡くなった場合、職員から最初に他の入居者にその事実を伝えることはありません。しかし、エンジェルケアは入居者さん達のフロアと扉一つで隔てられた居室で淡々と行われています。この日常と非日常の異様なコントラストにすら現場にいると慣れてしまいます。

普通の組織等で人が一人亡くなれば大事で、近しい人は葬儀に行くところですが、老人ホームという組織では「死をなかったことにして」日常を進めていくのです。つまり、ここでは死が日常ということ。

成人式が最近ありましたが、長い人では10年から20年以上入居するのが老人ホーム。その中で他の利用者・職員等多くの人達と生活を共にするのですが、ご家族がいなければ、その最後はあまりにも寂しいものです。その多くがお線香の一本もあげることがないのですから。

他の利用者も認知症だからあまり気にならないのか、それとも次は自分と敢えて気付かない振りをしているのか、今日もいつもと変わらない生活が行われています。

なお、私の施設で亡くなる方が多いのは「看取り」を行う施設だからであって、介護の職種によってはこのような人の終末とまったく関係のない職場も多くあります。
posted by 菅原直敏 at 09:30 | 福祉を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月21日

介護現場における医行為

街を歩いていると、介護施設やデイサービスの施設をよく見かけます。本当にコンビニ以上に増えているのが現在の介護業界の施設等。

そこで見かけるのが「看護師募集中」との求人看板。概して、看護師の給与は時給ベースで介護士の2倍。介護士が1,000円前後ならば、看護師は2,000円前後。

実は、介護の現場では介護職も不足していますが、看護師も不足しています。

介護現場で必要とされる看護のスキルは、医療現場で必要されるような高度なものは少なく(そのようなものが必要な場合医者に行くため)、一般の家庭で行われているものも少なくありません。しかし、介護現場で「業」として行う医行為のためには資格を持った看護師が必要とされ、介護職員もその指示の下動かなければなりません。

例えば、バイタルサインと言われる利用者の体温・脈拍・血圧及び呼吸等を「計測する」ことは介護職員にも可能ですが、計測された数値に基づいて利用者が入浴して良いかどうかを「判断する」ことはできません。後者が介護職には認められない医行為にあたるからです。この程度の医行為は数値基準の問題なので看護師に判断を仰ぐまでもないことです。

このような介護現場の大部分を占める簡易な医行為を、一定の研修等を受けることによって介護福祉士が実行可能にすることで、介護現場における看護職不足も緩和され、介護職のキャリアパス形成・報酬向上、利用者の利便性の向上、施設の経営の効率化など様々な点でメリットがあると考えます。

介護福祉士が研修を受ける等して胃瘻ができるようになったように、このような医行為の範囲を増やしていくことは現場のニーズに即していると言えます。

これらは法律に関わることなので、まさに政治課題。急速に進行する高齢社会に対応する為には、どんどん政治が迅速な判断を下していかなければなりません。
posted by 菅原直敏 at 22:25 | 福祉を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月05日

介護・福祉を考えるその2〜認知症と向き合う

介護・福祉を考えるその2〜認知症と向き合う
(なおとしヘラルド130号(2014年1月号)より)

●認知症人口は800万人以上(予備軍含む)〜高齢者の4人に1人〜

厚生労働省研究班の調査によると、2012年時点での認知症患者数は約462万人、軽度認知障害の高齢者数は約400万人いると推計されました。厚労省の従前の推計では約305万人とされていましたから、認知症患者の増加が予測を大きく上回る勢いで急速に進んでいることがうかがえます。

また、世界規模でも認知症患者は増加しており、昨年12月ロンドンで初めてG8諸国による「認知症サミット」が開催されました。
つまり、認知症とは限られた人だけに関わる病気ではなく、国民の大多数がなんらかの形で関係する国民病とも言えます。従って、私達日本人はこの認知症に真正面から向き合っていく必要があります。

●認知症とは??

認知症とは、認知機能(脳の働き)が悪くなり、その人の生活に支障が出てしまった状態をさします。その原因としてはアルツハイマー病が半数以上に上りますが、それ以外にも多くの原因があります。なお、ただの「もの忘れ」は認知症ではありません。

●認知症と向き合うこと

 昨年、NHKで放映された「NHKスペシャル〜認知症800万人時代」を観ながら、「お父さんも認知症の予備軍なんだよ。」と私が冗談っぽく言うと父は怪訝(けげん)そうな顔をしました。「まだ俺には関係ない」という感覚があったのでしょう。父は65歳、現代の感覚で言えば高齢者というにはまだ若いのだと思いますが、統計上では65歳の4人に1人は認知症であり、年齢を追うごとにり患率は高くなります。加齢が原因ですから、長生きすればするほど誰にも等しく認知症になる可能性があります。従って、本当は認知症になる前に、なった時のことを家族で話し合っていた方がよいのです。

これは、私自身が介護の現場で働いていて強く感じることです。どんな死に方をしたいか。後見人を立てるのか。どんな介護を受けたいかなど。認知機能がしっかりしている時に、こういった将来の認知症にかかわる自身の課題について、家族を交えて話すことは認知症発症後の介護にかかる家族の負担を減らします。結果的に認知症が発症しなければそれはそれで良かったと笑って済ませればよいだけです。

●認知症に対して今できること、将来できること

 世界規模のサミットが開催されることからもわかるように、認知症は現在人類を脅かす地球規模の課題として捉えられています。しかし、人類は数々の困難を克服してきました。認知症に対しても私達ができることは多くあります。

まずは、認知症を理解することです。正確な理解なくして対策も政策もありません。例えば、厚労省が国民の認知症の理解を深めるために推進している認知症サポーター(約400万人が登録)の講習を受ける等してみて下さい。環境整備や介護状況の改善は即効性の高い症状の改善効果をもたらすため、周囲の人間の認知症に対する理解が深まることで、認知症患者の症状を緩和します(現在は薬物より即効性がある)。

次に、自分自身が認知症にかからない為の予防をすることです。認知症の主因であるアルツハイマー病は生活習慣病との関係性が指摘されています。生活習慣を改めることで、そのり患や発症を遅らせることができます(り患から発症まで20年間かかる)。

最後に、認知症の原因となる病気を克服する治療法の開発です。現在、アルツハイマー病の進行を遅らせる薬は存在しますが、発症や進行を阻止する薬は存在しません。しかし、国内外の官民様々な機関や学者・研究者等が協力して根本的な治療法の解決に取り組み始めました。日本はこの開発に主導的かつ献身的な役割を担うべきと考えます。

 私もキャラバンメイトとして認知症サポーターの育成や健康管理を始めました。皆さんもまずは自分達でできることから始めてみたらいかがでしょうか?
posted by 菅原直敏 at 23:42 | 福祉を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月12日

傾聴

介護における最も基本的なコミュニケーション技術に「傾聴」というものがあります。

傾聴することは、相手の心を自分の心で聴くことであり、相手の思いやりや気持ちを受け止めることであり、そして相手の価値観を尊重することでもあります。

相手の話を聴いて、受容して、お互いの共感を醸成することがよりよい介護には最も重要なこと。

これらは言葉で言うと簡単ですが、実践するとなかなか難しいです。自分より倍以上長く生きてきた人、認知症が入っている人などの話を忍耐強く聴かなければならないからです。相当な経験・知識と技術が必要です。

逆に最もやってはならないことは、相手の価値観を認めず、聴かず、理解しようとせず、自分の考え方のみを押し付けようとすること。

介護現場では毎日がこの傾聴の実践の日々です。その代わり、自分自身が人間として成長していくのも実感できます。

話は変わりますが、この「傾聴」という作業、政治に関わる人も学んだら役に立つのではないかと日々感じています。私もそうでしたが、政治に関わる人の中には、人の価値観は認めず(或は認めた振りをして)、自分の主張ばかり仰々しく語る人が少なくありません。

相手の考え方を傾聴して、理解をした上でなされる議論の方が建設的な結果が生まれるではないでしょうか。
posted by 菅原直敏 at 02:12 | 福祉を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月10日

介護・福祉を考える@〜大介護時代

介護・福祉を考える@(直敏ヘラルド128号より)

大介護時代

●世界で唯一「超高齢社会」を迎える日本〜4人に1人が高齢者

街を歩いているとデイサービスの事業所や老人ホームが日々増えていることを実感します。また、公園では元気な高齢者の方々がグラウンドゴルフ等を楽しむ姿もすっかり日常的です。

統計的には何十年も前から予測されていたことですが、日本の高齢化率(65歳以上の人口が総人口に占める割合)は、1970年に7%(高齢化社会)、1995年に14.5%(高齢社会)を越え、2007年には21.5%に達し(2010年現在では23%)、世界で唯一の「超高齢社会」の国になりました。大げさな表現を用いれば、日本は人類誕生以来どのような国や地域も経験したことがない未知の領域に足を踏み込んでいます。さらに、厚労省の統計によると2035年には高齢化率は33%に達し、3人に1人が高齢者になると推計されています。

 日本が世界で最も長寿の国であるという事実は、私達が胸を張って誇れることであると思います。なぜなら、日本が安全かつ衛生的で経済的にも成功した国である証しだからです。しかし、年齢構成のバランスを欠いた「超高齢社会」の到来は1つの大きな課題を日本の社会にもたらしました。

 それが「介護」です。

●理想と現実の狭間で

 「介護」というと皆さんはどのようなイメージを持たれているでしょうか?

 身近なご家族を介護されている方々や介護関連職に従事されている方々であれば、現場に根ざした様々な現実をご存知でしょうが、そうでない方々はなんとなく「大変そう」「きつそう」といったメディアなどから流れてくる漠然とした(誤解を恐れずに言えば「他人事のような」)イメージしかないかもしれません。しかし、高齢化が急速な勢いで進行する日本においては、そう遠くない未来に国民の大半がなんらかの形で介護と向き合わざるを得ない時代が必ず来ます(本当は既に来ているかもしれません)。つまり、漠然としたイメージを現実として捉えなおさなければならない時は、介護と無関係と思っていた人にもそのうちやってくる可能性が高いのです。例えば、ご自分や両親・親戚の20年後をイメージして頂ければ、想像に難くないでしょう。

 介護の現場は多くの問題を抱えています。在宅介護の限界、介護保健施設の入所待ち期間の長期化、厚労省の予測を上回る勢いで増加する認知症高齢者数、介護人材の不足、国の財政などその内容は私達の生活現場から国家の財政まで多岐に渡ります。これに対して、政治・行政は「介護予防の推進」「施設から在宅介護へ」など理想的な計画の旗を振り、現場はその理想を横目に現実と向き合う狭間の状態が続いています。

●世界で最先端の政策課題に挑戦している日本人

 今、世界中の国々が日本の今後に注目しています。「介護」を中心とする高齢社会にかかる課題を如何に乗り越えていくのか固唾をのんで見ているのです。

もちろん、「明日は我が身」だからです。また、日本人自身も試されています。近代化以降、様々な政策課題を主に欧米のモデルを参考とすることで乗り越えてきました。しかし、今回はモデルがありません。

 今後数回のヘラルドでは、私自身の調査・研究や介護現場での就労体験も踏まえ、皆さんと一緒に「介護・福祉」について考えていきたいと思います。

 メール( naoxinfo@nao.tv )や葉書などで皆さんの現場体験やご意見などもお寄せ頂けたら幸いです。
posted by 菅原直敏 at 22:32 | 福祉を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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